古代日本人からの知恵 ~私達は、こうしてパンデミックから身を守ってきた~
猛暑酷暑が続き、秋は訪れるのだろうか?と心配していましたが、神戸でも先日、金木犀の香りをやっと嗅ぐ事ができ、ホッとしています。
待ち遠しかった秋ですが、良いことばかりとは言えません。
季節の変わり目は気温差が大きくなったり乾燥したりすることで、様々な感染症が流行りやすくなります。
今回は「私たちの祖先が、どの様に感染症対策を行ってきたのか」を、お話しします。
最近読んだ 、小名木善行(オナギゼンコウ)氏の著書『奇跡の日本史』から一部を要約し、ご紹介します。
ご興味を持たれましたら、是非お読みください。
ここ数年、私たちは新型コロナウイルスの蔓延にさらされました。このような大規模な感染症を『疫病』と呼んできました。
人類史を語る上で『疫病』を無視することは出来ません。『疫病』の原因は、コロナ以外にもペスト・コレラ・赤痢など様々あります。
例えば14世紀の中国、元が滅んで明になった時に、元の人口が およそ1億3000万だったのが、3000万人ほどにまで減りました。
『疫病』により人口の8割ほどが減ったのです。この人口急減により、元は滅び北方の遊牧民に戻ったのです。
歴史は、繰り返します。17世紀には、明が滅び清の大帝国が生まれました。
この時、明の人口が『疫病』により 9000万人から2460万人にまで減りました。
人口の約7割が失われたのです。
14世紀、17世紀共にこれだけの人口が失われると、もはや食料の生産も追いつきません。
そうなると、彼らは遊牧民の土地に行き、食料を手に入れようとします。
すると、土地や食料を奪われた北方の遊牧民は怒って、中原(ちゅうげん)に攻め込み、新たな王朝を築きました。
こうして中国での王朝は、入れ替わっていったのです。
中国発の『疫病』は、遠くヨーロッパまで伝わり、6割の人口が失われました。
これが有名なペストによる “黒死病(こくしびょう)” です。
ところが、これだけ猛威を振るった『疫病』が、当時、日本には影響していないようなのです。
それぞれの時期に、日本と中国は人的交流・交易は行われていますが、日本での南北朝時代、江戸時代の文献には『疫病』の記載はありませんし、人口の減少も起きていないのです。
だからといって、日本に一切『疫病』が無かった訳ではありません。何度も流行しています。
幕末には “コレラ”、明治には ”スペイン風邪” または ”赤痢” などが流行りました。
しかし、人口の減少は、それぞれ10万人ほどに留まっています。
中国やヨーロッパなどのように、人口の6割や7割が失われる致命的な大流行は、少なくとも中世以降は起きていません。
しかし、実は日本でも『疫病』が、甚大な人口減少を引き起こしたことが記録されています。
第10代崇神天皇の御代です。
この時のことを、古事記は「人民尽ナン(ジンミンツキナン)」、日本書紀は「民衆の半分が亡くなった」と記しています。
2019年、東大の研究チームは日本人のDNA研究から、約2500年前、26万いた人口が、突然8万人に減少したことを明らかにしました。
研究者たちは「この人口減少は、寒冷化のため」だと説明していますが、この時期は弥生時代で稲作が奨励されており、この理由づけには無理がありそうです。
ところがこの研究結果は、古事記や日本書紀の記載内容と合致します。
古事記・日本書紀によると、崇神天皇の時代「疫病が流行り人口の大半が失われ、埋葬も間に合わなった」とあります。
この『疫病』の原因が、細菌やウイルスによるものだと分かったのは20世紀になってからのことです。
紀元前に於いては、神々による怒りとしか思えなかったことでしょう。
次々に人命が失われていく現状を不慮された崇神天皇は、神々に祈られ全国に多くある神社に知恵を求めました。
結果、崇神天皇は全国に多数ある神社を4つの団塊に分類整理されました。
そして、その神社が系列化されることで新しい常識が生まれました。
それが神社における『手水(ちょうず)』の作法です。
『手水』は穢れを払うもので、崇神天皇よりずっと昔からあるものですが、これが全国の神社に普及したのです。
この時代、仏教は伝来しておらず、人々は何かあると神社に集っていました。
そして、人は神社に集う時は必ず手を洗い、口をゆすいだのです。
すると、みるみると『疫病』が沈静化し、民衆の暮らしに平穏が戻りました。
先程述べた東大チームの研究によると、26万人から一旦8万人にまで減った人口は、67万にまで増えたことが分かっています。
このことは、きっと神々から認めていただいたと感じたことでしょう。
これ以来、日本では人々が集まる神社の入り口では、先ず手洗いと口をゆすぐことで『疫病』の大流行を防いできたのです。
今でも古い料理屋さんやお蕎麦屋さんに行くと、入り口近くに「手水や(ちょうずや)」が設置されています。
日本人が守ってきた『疫病』対策のなごりです。
昨今の飲食店は、トイレと手洗いが一体化して入り口付近の「手水や」は無くなりましたが、それに代わり私たちは食事の前に「おしぼり」を使うことで、その代用にしています。
また、礼法の観点からも『疫病』対策を行ってきました。
元々、日本人にはハグや握手などの習慣はありません。
人と対峙する際は、畳一畳分(約1.8m)ほど空け、お互いにお辞儀をします。これは、相手に唾液が掛からない距離を意味します。
それに、私たちは常に入浴し、体を清潔にし、住まいも水拭きし、衛生状態を保ってきました。
このような生活習慣を行ってこられたのも、「綺麗な水」のお陰です。
江戸では、川から井戸に水を引き、それを飲料水に使ってきました。
ですから、川や田んぼにゴミを捨てるような事はなく、みんなで環境を守ってきたのです。
このようにして、私たちは2500年という長きに渡り『疫病』から身を守ってきたのです。
これからも私たちは、祖先が伝えてくれた伝統を大切にするために、先ずはその歴史や伝統を学びたいものです。
それを踏まえ、新しい知識や技術を足して行くのが最善ではないかと考えています。
私たちが行っている鍼灸治療も同様だと思っています。
様々な感染症にも負けず、元気に過ごして行きましょう。
神戸東洋医療学院付属治療院
川上 靖
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神戸 三宮で鍼灸といえば
神戸東洋医療学院付属治療院
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