永遠の戦後
今夏、最初は涼しいかと思いきや、連日35℃を超える酷暑、
またその後は台風などの影響で大雨になったりとめまぐるしい天候にみまわれましたが、
こちら神戸ではいよいよツクツクボウシの声が聞かれるようになりました。
そのような夏、今年日本は戦後70年の節目を迎えました。
戦争体験を持つ方々が少なくなっていく中、改めて先の戦争を捉えなおす報道が多くなされました。
ただ勇ましい精神論だけで無益な戦争、いや、不幸で残酷な戦争に突き進んでいったことにやるせなさと怒りを禁じえません。
私事で恐縮ですが、父方の祖父と叔父は広島の原爆で、母方の祖父は戦地での病のため犠牲になっています。
そのこともあってか私は子供のころから比較的多く、戦争や原爆に関する映画、資料展、作品展を見る機会を与えられました。
両親からは戦時中や遺族たちの大変な生活について教えられ、戦地に行った元兵士の方からは無残な退却戦の話などを直接聞かせていただく中でいつしか私にとっての戦争と平和への想いは形作られていきました。
ただ平和を願うからと言って、それが無条件にかなえられないこともまた事実です。
真の意味で現状を把握するリアリスティックな外交と防衛が不可欠だと私は考えています。
(なんとなく政見放送のようになってきていますのでこの話はこのあたりで終わりたいと思います。笑)
ところで私たちが行っている医療においても観念や感情が行き過ぎないことが大切だと思っています。
私たち鍼灸師を含む医療人は患者さんの苦痛に共感し、患者さんと共に治療を行うことが必要です。
しかしあまりに患者さんの想いに強く寄り添いすぎると、冷静さを欠き誤った見立てや治療計画を立ててしまうことがあります。
「もっと早く治りたい。」「もっと早く治してあげたい。」
「もっとよくなりたい。」「もっとよくなってほしい。」
「次の試合には必ず出たい。」「次の試合に出場するに厳しい状態ではあるが、出させてあげたい。」
等々です。
本来私たちは、患者さんの苦痛を少しでも早く、そして多く取り除き患者さんの生活の質を向上させることを基本的な目的にしていますから上記のように思い、医療行為を行うことは自然なこととも思えます。
しかしそんな思いが過剰すぎると、余分な治療や刺激を行ってしまったり出場させてはいけない競技に出させてしまうという、誤った判断を行ってしまうことにもなりかねません。
もちろん私たちは神ではありませんからすべてを見通すことはできません。
ただし、病気や症状、それらに対する治療についての多くの知識や経験をもとに冷静な判断を下すことを心掛けることは可能です。
そして今後もそのような鍼灸治療が行えるよう、研鑽を積んでいきたいと思っています。
では最後になりますが、戦後70年という言葉を今年多く聞き、私はこれからも戦後100年、戦後150年というようにいつまでも「戦後」といい続けることができる日本であってほしい、決して私たちが今過ごしているこの時間を戦前と呼ぶことのないよう、私たち国民の冷静な努力が大切ではないかと思わされた戦後70年の夏でした。
神戸東洋医療学院 付属治療院 川上 靖
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